成長期のアスリートの怪我 /狩野舞子から考える

知人の息子がサッカーをやっていて、半年前から膝から下が抜けて感覚が無くなることが度々あったようです。痛みがなくレギュラーだったこともあり、そのまま続けていたら靭帯の部分断裂を起こして病院に担ぎ込まれてしまいました。知人は顧問の先生に怪我の状況や普段の練習状況を質問し、膝への負担が激しい練習を行い練習後にまともなクールダウンを行っていなかったことを知って憤慨していました。成長期の怪我は、大人になってからも影響することがあります。この知人の話を聞きながら、私は元バレーボール女子日本代表の狩野舞子を思い出していました。

個人的な狩野舞子の印象

私が狩野舞子の名前を知ったのは、2009年のグラチャンバレーだった気がします。しかし熱心なバレーボールファンの間では、それ以前からとても有名だったようです。中田久美以来24年ぶりに中学生で全日本代表合宿に呼ばれた美少女として話題になり、高校2年の時には春高バレーのポスターに撮り下ろし写真が使われて話題になっています。高校バレーボールを代表する選手だったのです。

※春高バレーのポスターと高校時代の狩野舞子

全日本代表選手として試合に出る狩野舞子をテレビは美人アスリートとして取り上げていて、プレイ内容よりもルックスの話の方が多かったと思います。当時のテレビは女子バレーボール選手をアイドル的に扱い、選手自身にも不評なキャッチコピーをつけていました。狩野舞子は「世界に舞う!シンデレラMAIKO」で、後に本人はアイドル視されていたことに苦しんでいたことを吐露していて、当時を「暗黒時代」と語っています。

日本女子バレーの復活となった2012年のロンドン五輪に、狩野舞子が出ていたのは覚えています。銅メダルを獲得した全日本の試合は激戦が多く、いくつもの試合が記憶に残りました。準々決勝中国戦で木村沙織の神がかった大爆発や、3位決定戦での迫田さおりのバックアタックなど名場面が多いのですが、狩野舞子のプレイの記憶はありません。いつも名前を聞くのに、プレイを覚えていないのです。ですから、ルックスで注目されただけの選手という気がしていました。

飛び抜けた才能の持ち主

知り合いにバレーボールを中学から大学までやっていた人がいて、彼女がバレーボールのことをいろいろと教えてくれるのですが、狩野舞子のことを尋ねると「飛び抜けた才能の持ち主」と言っていました。最初に見たのは春高バレーだったそうですが、一目で才能を感じたそうです。それは彼女の周囲もそうで、凄いのが出てきたなと話していたと言っていました。しかし同時に「全力でプレイしている姿を見たことがない」とも言っています。狩野舞子の高校時代の先輩でパイオニアレッドウィングス(2013年に廃部)に所属した滝沢ななえも「舞子の真の姿を誰も見ていない」と語っていました。怪我を繰り返していたため、全力でプレイすることがほとんどなかったからです。

バレーボール関係者は、狩野舞子の才能を見抜いて期待を寄せていました。ですから怪我で試合に出られる可能性が低くても全日本に呼ばれましたし、チームも粘り強く使い続けました。全力でプレイできなくても一定以上の結果を残しており、スパイカーとして限界を感じるとセッターにコンバートされて結果を残しています。天性のセンスがあったのは間違いなく、さらに恵まれた体格が重なって特別な選手としてあり続けました。しかし周囲の期待は、それ以上の結果でもありました。

怪我に泣いた狩野舞子のキャリア

現在、YouTubeチャンネルを開設している狩野舞子ですが、怪我のエピソードは何度も出てきます。現在も後遺症があるらしく、朝目が覚めてから起き上がるのに苦労することもあるようです。185cmの長身を時間をかけて折り曲げ、なんとかベッドから脱出してストレッチをすることもあると言っています。

狩野舞子の母親はバレーボールの名門校、八王子実践高校のバレーボール部に所属したバレーボール選手で、父親は実業団でバレーボールをやっていました。さらに年の離れた姉は久光製薬スプリングス(現在の久光スプリングス)に所属したバレーボール選手です。バレーボール一家に生まれた狩野舞子は、自然とバレーボールを始めました。中学生の時には東京都代表に選ばれ、全日本合宿メンバーにも選ばれています。

しかし小学生の頃から成長痛が激しく、膝などの関節痛に苦しめられます。中学生の頃から激しい腰痛に苦しめられ、中学3年の時には疲労骨折が続き、重症だったのは左足の腓骨(ひこつ)骨折でした。高校時代はチームのキャプテンを務めますが、腰痛に苦しみ練習時間の多くを病院で過ごしました。これは日常生活に支障が出るほどの痛みで、椎間板ヘルニアと診断されたため、内視鏡による手術を行いました。ブロック注射を打ちながらプレイを続け、高校を卒業した19歳の時には右のアキレス腱断裂を経験しました。さらに2009年には右膝半月板損傷、2010年には左足のアキレス腱断裂に苦しめられました。それ以外にも右手指の骨折など、現役続行を危ぶまれる怪我を何度も繰り返しています。

なぜ怪我が続いたのか

幼稚園の頃から頭ひとつ抜ける長身だったそうです。しかし小学校6年生の時には174cmだったのですから、小学校時代に急激に身長が伸びたようです。そのため成長痛に苦しめられるのですが、狩野本人は成長した体に対して筋肉が追いついておらず、そこにハードなトレーニングを行ったのが良くなかったと言っています。それは中学生の時も同様で、オーバーワークが疲労骨折を招くようになります。

高校生になってから椎間板ヘルニアになりますが、筋力が不足する中でハードワークを繰り返し、その負荷が腰にきたようです。治療のために休むとレギュラーを奪われるかもしれないと思い、なかなか痛みがあることも言い出せずに無理を続けた結果、さらに腰を悪くする悪循環に陥っています。高校生でブロック注射を打ち続けながら試合に出るのは、ちょっと異常な気がします。

高校を卒業して久光製薬スプリングスに入ると、筋力トレーニングを重点的に行うことになったようです。体ができるまでボールに触らず、体づくりに専念した結果、1年目からレギュラーで試合に出場します。しかしその年にアキレス腱の断裂、翌年には膝の半月板損傷、さらに翌年に逆の足のアキレス腱断裂になってしまいます。これもYouTubeチャンネルの中で触れられていましたが、正しい体の使い方を知らないままセンスで動き続けたことが怪我の要因になったようです。

高校に入ってすぐ、スパイクのフォーム練習を延々と行っていたそうです。それは中学時代に教わったスパイクフォームが間違っていたので、矯正することになったのです。「肘を折り畳むって習ったから」「なんで折り畳むんだよ!」といった会話を滝沢ななえとYouTubeで繰り広げていました。正しい体の使い方以前に、成長期に間違ったフォームでハードワークをこなしていたようです。

成長期のハードワーク

身長が伸びる時は、まず骨が成長して筋肉が追いかけるようについてきます。この時期の骨は両端が軟骨で、骨端線と呼ばれる部分から骨が伸びていきます。この時期の骨や関節は成人と違って構造的に弱く、強い力が繰り返し働くと、傷ついたり変形したりして障害が生じやすい特徴があります。そのため成長期のトレーニングは大人と同じような方法で行うと、スポーツ障害や外傷になりやすいと言われています。

つまり成長期のトレーニング方法を知らないで、ぶっ倒れるまでハードワークを行わせるのはとても危険なことなのです。しかし現在の中学校や高校の部活では、そのような知識がある人はわずかです。悪気なく大人と同じトレーニングをさせていたり、ほとんど知識がないまま無理をさせているケースもあるでしょう。そしてそのまま続けていけば、後遺症を残す危険もあると思います。炎天下でハードワークさせて熱中症で搬送される事故が後を絶たない現状を見ると、指導者のスキル向上は急務のように思います。

成長期の子供のスポーツ

プロの選手を目指すような子供ならともかく、体を痛めつけてまで部活動をする必要があるのか疑問に思います。また狩野舞子のように、成長した時には体がボロボロで、常に怪我に悩まされて全力を尽くせないまま現役生活を送る選手もいます。こういう選手は他にも多くいるのではないでしょうか。部活動を指導するコーチは、一定の研修などを受けなければならないなどの制度も検討して良いのではないでしょうか。スポーツによる教育の有効性はともかく、体を壊すようならやらない方が良いからです。

まとめ

185cmの長身に長い手足、そして何より類い稀なバレーボールセンスを持っていると言われた狩野舞子は、キャリアの多くの部分を怪我との戦いに費やしました。それは本人にとっても悔しいことだったでしょうが、日本バレーボールにとっても大きな損失だったはずです。強豪校ではまだ体が出来上がっていないにも関わらず、ハードワークを課しているケースが多いようです。そしてレギュラーを外される恐怖や、みんなに迷惑をかけたくないという想いから痛みを隠して練習に励む生徒も多いといいます。こういったことを改めないと、日本のスポーツ界に大きな損失を生むことになるのではないでしょうか。

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