我が校に「いじめ」はない /アンケート結果は隠蔽か?

学校でのいじめが問題になると、学校は生徒に聞き取り調査を行ったりアンケートをとったりします。そして「調査の結果、いじめの実態は確認できなかった」とお決まりの結論が発表されます。いじめ被害を受けた生徒がいるのにいじめの実態がなかったと発表するのは、学校側の隠蔽ではないか?そんな疑惑が巻き起こるのですが、本当に学校は隠蔽しているのでしょうか。今回はいじめについて考えてみたいと思います。
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「いじめ」とは何か
現在、いじめは「いじめ防止対策推進法」の施行により、法律で明確に定義されています。法律の施行は平成25年度なので、それ以降のいじめはこの定義で示されています。
「いじめ」とは、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
このいじめの定義は広すぎるため、学校関係者の間で動揺が起こったと言われています。これでは当事者が「心身に苦痛を受けた」と言えば全てがいじめになってしまうと思われたのです。またこれだけ定義が広いと、学校内で共通認識が持てないという問題点も言われています。このように「いじめ」の定義は法で定められているにも関わらず曖昧で、何がいじめなのか人によってニュアンスが異なってしまいます。
いじめの定義の変還
文部科学省のいじめの定義は、時代とともに変化しています。いじめは昭和61年度に当時の文部省により定義されました。
①自分より弱い者に対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じてい るものであって、学校としてその事実(関係児童生徒、いじめの内容等)を確認しているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わないものとする。
この定義では、学校が認識していないものはいじめではなかったのです。また本人がいじめを受けたと主張しても、学校が認めない限りはいじめにはならなかったのです。当然ながら、この定義は問題が生じました。そこで平成6年度に新たな定義がされました。「学校としてその事実(関係児童生徒、いじめの内容等)を確認しているもの」が削除され、新たに「いじめに当たるか否かの判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられ た児童生徒の立場に立って行うこと」という文言が追加されています。
さらに平成18年度には再びいじめの定義が変更されています。
本調査において、個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。 「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とする。 なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
それまでの定義にあった「一方的に」「継続的に」「深刻な」という文言を削除して、現状に合わせました。また「いじめられた児童生徒の立場に立って」「一定の人間関係のある者」「攻撃」といった言葉が追加されています。この後、先に書いた「いじめ防止対策推進法」の施行で法律によって定義が決められました。このようにいじめの定義は最初から幅が広く、曖昧とも言えるものでした。さまざまなトラブルに対応できるように言葉を選んだら、何でもかんでもいじめになりかねないものになってしまいました。
いじめを認めない体質
学校がいじめを認めない原因は、すでに多くの人から指摘されています。特に公立学校の教員はブラック企業と化しているため教員がいじめ問題に向き合う時間がなかったり、いじめが発覚すると教員自身の評価が下がったり、職員室内での人間関係が影響しているとも言われています。恐らくこういうことが原因で、いじめ問題が発生しても学校が認めないことはあるでしょう。しかし今回書きたいのは、こういう事例ではありません。いじめを行った生徒も周囲で見ていた生徒も、いじめの認識がないため、アンケートをとっても調査をしてもいじめの実態が確認されない事例があると思うのです。

いじめではないが全員が無視する状態
実際に耳にした事例を挙げます。ある都内の中学校で、1人の生徒の親がクラス全員から無視をされるだけでなく、班決めなどで露骨に避けられてクラスで浮いしまった結果、登校が困難になったと訴えたそうです。そのためいじめがなかったか、そのクラスで調査が行われたそうです。クラス全員がいじめの存在を否定しただけでなく、複数の生徒から迷惑を掛けられているのはこちらの方だという反論が行われたそうです。
生徒達の意見によると、登校拒否をしている他人のものを勝手に持っていったり、弱い男子生徒や女子生徒に対して容姿に対する暴言などが日常的にあったといいます。そのため何度もクラスメイトとトラブルになり、生徒と口論になったり掴み合いに発展したこともあったそうです。そういったことが何度もあり、徐々にクラス全員が関わるのを拒否するようになり、全員で無視をしようと決めたわけでもないのに近づいてきたら避けるようになったそうです。

文具を勝手に持っていかれることを嫌がったり、話したら酷いことを言われることが何度もあったため、気が強い女子生徒などは近づいてくるとあっちへ行けと言っていたようです。こうしてこの生徒は完全に孤立してしまい、やがて学校に来なくなったようです。生徒の多くは、これでようやくクラスが落ち着いたと安堵していたら、いじめがあったと調査が始まったので、どこまで迷惑をかける気だと憤慨しました。生徒達はいじめを否定し、自分達が酷い目にあっていたと主張したため、クラスにいじめはなかったとなりました。
これに似たようなケースは、いくつか聞いたことがあるので他でもあるでしょう。このように生徒達はいじめている感覚はなく、迷惑な相手を避けている認識しかないケースもあるのです。しかし「いじめ防止対策推進法」の定義に当てはめると、「児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」になるので「いじめ」となるでしょう。
クラスメイトが悪いと言えるか?
上記のケースで正論を並べてしまえば、問題があるなら話し合いで解決するか、それでも難しければ担任に相談するべきとなるでしょう。いかなる理由があったとしても、全員で特定の生徒を避けたり無視したりする行為はダメだとなるでしょう。しかしそういった解決方法には時間と忍耐力が必要で、解決するまでの間にも暴言などが続く可能性もあります。そして実際に上記の例でも、暴言に対して注意した生徒もいたようですが、それでは解決することはなかったのです。
決定的になったのは、周囲が止めるように言っているにも関わらず、何度も執拗に1人の女子生徒に太っていると何度も言った時だったようです。女子生徒が泣き出したのを見かねてクラスのリーダー的男子生徒が間に入ると、そのまま激しい言い合いになって掴み合いになり、周囲に止められたそうです。それ以降、生徒の多くが関わらないようになったそうです。クラスメイトを責めるのは簡単ですが、面倒なことに関わらないようにするのは大人でも同様です。多くの生徒に言われても態度を改めない生徒に対し、よほど強い友人関係でもない限り関わっていかないと思います。
一方を責めることで傷つくことも
集団の中に弱者を見つけ、その弱者を痛めつけることで自らの優位性を保とうという人は大人でもいます。こういったいじめが学校で発生した場合、いじめた生徒に対して厳しく指導するのは当然だと思います。しかし現在のいじめの定義に当てはめると、上記のケースのようにいじめられた側にも原因がある問題には加害者側だけを指導しても問題は解決しません。むしろ加害生徒が傷つくこともあると思います。
被害生徒の迷惑行為によって他の生徒が避けている状態では、学校が調査をしても生徒にはいじめたという認識がないですし、全員で口裏を合わせて無視していたわけでもないので、いじめがあったとはなりにくいでしょう。学校が事情を知った場合でも、加害生徒らが一方的に悪く言われることを避けるため「いじめがあったとは認められない」と発言することもあるでしょう。このようなケースが全てではありませんが、中にはこういうケースもあると思うのです。
まとめ
いじめられた側に責任はないのですが、原因があるケースもあると書けば問題になるかもしれません。しかしある日突然、何の落ち度もない生徒がいじめの対象になってしまうようなケースだけでなく、何らかの原因があるケースもあります。学校側が調査の結果、いじめがなかったと発表しても、それが隠蔽の結果かはわからないと思います。いじめ問題に取り組むには多忙の教員だけでは難しいと思いますし、特に多忙を極める公立高校では生徒同士の揉め事は穏便にさっさと済ませようと考えても不思議ではありません。いじめ問題はいじめだけを考えるのではなく、学校運営そのものの見直しが必要な気がします。